今日も地球の名物、酸素がおいしいです

プップクプーのプーです 地球には何十年か前に来ました

ということで タイトル変更しました 犬の話

一体なにが「ということで」なのか、自分でも意味不明に、それでいてタイトル変更しました。

こだわりはありません。なんとなく地球とか星とか好きなのでそんな感じであーだこうだです。

 

今日も昨日もきっと明日も泣き泣きの毎日。

大好きなあの人や犬が日に日にいなくなる日に近づいていることに、今日も昨日もきっと明日も泣いている。

 

夜になると、相当眠くない限り星を見に外に出る。それは天文学に興味があるからでも、ロマンチックに星を見るためでもなく、視力回復にそれが良いと知ったからです、死にたがりの健康おたく。

 

犬をだっこして、帰りたそうな犬をフリースの中に仕込んで耐えさせている。時にはスクワットとかして犬をダンベル代わりにしている。

 

もう歯があんまりないあいつ(犬)は、愛玩犬だなんて言われる犬種のくせに、若いころ、愛嬌はなかった。

部屋中飛んで周り、番犬よろしくガウガウ毎日吠えた。抱っこが嫌いで、かわいらしく人間の横に座っていても、人間が少し動くと、なんか知らんが腹を立ててどっかに行く。

 

いつもご飯を食べなくて、ガリガリに痩せている。おやつをあげたら、ご飯を食べる。逆になってほしい。なんだか、人間が、試されている。

 

 

私の生活には、私の意志に関係なくいつも犬がいた。

 

いつもガウガウガウガウ吠えて、誰かが家に帰ってきたらきゃんきゃん吠えて嬉しそうだ。お風呂に入ったら一緒に入りたいとドアをガリガリした。散歩に行くよというと飛び上がって喜んだ。

 

10歳を迎えたころから、お風呂に入ってもガリガリしなくなった。散歩に行くよと言ってもしっぽを振るだけになった。あんまりガウガウ吠えなくなった。でも今も、誰かが帰ってきたら、きゃんきゃん嬉しそうだ。

 

一つ一つの動作がゆっくりに、激しさを失っていくその過程を感じるたびに泣き泣きで、無理にでもご飯を食べてほしくてエサを変えてもやっぱりあんまり食べなくて、あんなに抱っこが嫌いだったのに、毎日私に抱っこされて星を見ている。

 

そのうち私が帰ってきてもきゃんきゃん言わなくなるんだろうな。

その時また私がぴいぴい泣いて、それを見てたぶん太ももに頭乗せてくるんだけど、若い時はそんなことしなかったくせに、冥土の土産に可愛がれとでも言わんばかりに、最近はめっきり大人しくなって、散歩中も幼児やご婦人にヨシヨシされてニコニコしている。

 

フリースの中でしっかり大人しくしながら迷惑そうなあいつにおやつをやりながら、星と遠くのビルとか見て、私の視力は、とりあえず落ちてない。

 

 

この子はほんとうにおりこうさんねえ、とか若いころのやんちゃ坊主だったこと忘れたかのようにみんな言う。

私は覚えてるよ、たぶんみんな覚えてるよ、風呂にゆっくり入れなかったことも、物音がしただけでガウガウ吠えてうるさくてたまらなかったことも、人のベッドに潜り込んでくるくせに、数分で降ろしてくれと騒いでいたことも

 

いま、一生懸命おとなしいあんたのことを必死で記憶に残してるよ、きっとあんたが、近い未来どっか違う世にいったとき、きっと星を見ると思い出してあげるからね

 

まだ起きぬ未来を嘆いている時間があれば、いまをより充実させたらどう、と自分から自分にアドバイス。いや、それは性格だから無理、一緒にいる時間を増やしながら泣きます、と星が滲んで、やっぱり視力が全然回復しない。