今日も地球の名物、酸素がおいしいです

プップクプーのプーです 地球には何十年か前に来ました

それはひたすら続く偶然だった 

私は、これといって信仰している宗教はなくて、これといって好きな格言もない。それは昨今の日本では珍しいことではないだろうし、これは批判しているわけでは決してなくって、私にはそれらに強い思いを持って臨んでいる人々の気持ちはよくわからない。

 

昨日テレビで見た陸上選手権でも、他国の選手でスタートする前にお祈りをしている方々がいて、きっとその国ではよく見られる光景なのでしょう、特になんの感情も持たずに、それを私も見ていた。

 

 

私は神はいないと思っていて、死後の世界はないと信じていて、人生に運命という概念は存在しないと感じていて、私の毎日は、すべての行動や言動とかも、呼吸も、あの楽しかった青い空も、はっと息を飲んだ美しい瞬間も、全部偶然の、果てしない連鎖で構成されたつながりであると考えていて、しかも、それをほぼ確定的なことだと思い込んでいる。

まるで自分が神であるかのように、しっかり確定的に思い込んでいて、それが砂のように心の中でじゃりじゃりしている。

 

 

人の多い電車でガタゴト揺られているときや、スーパーのレジに大行列ができているのを見たときに、何も信じていない自分から空虚な絶望の匂いがする。

何が起こるかわからないこの世界が本当に怖くて、苦しくて、泣けてきて、本当に大好きで、今なら飛べそうって思うようなすっごく楽しい時間が恋しくて、たまらなく辛い。

 

すごく優しい人がちょっと嬉しそうにしただけで、それがいつしか完全に失われると盲目的に信じていることから目を逸らすことができない。

 

私はただ無力なまま、地上から5センチほど浮いているような気分で、かつて、隕石に襲われた恐竜たちが最後に見た夢くらい遠い過去について考えて、恐竜や虫のお化けを見たって話聞いたことないし、死後の世界なんてない、と考えて泣く。

 

 

 

私がたまたま生まれてきた時代。世紀末を経て、新しい不況が訪れ、その不況が終わると次の不況がやってきて、ミニスカートの流行が終わり、気づいたら大人になっていた。たくさんの人が死んだ。

 

 

誰も私の名前を呼ばなくなるのが私の夢と言って死んだあの子のことを、私は今もはっきり覚えている。死は少しも怖くないけれど、怖いのはあなたの記憶の中で死んでしまうこと、と言ったショパンの妹エミリアのこともはっきり覚えている。私は、死ぬ時、何て言うんだろうか。

 

 

たまたま生まれてきた地球で、何かの偶然で私の文章を読んでくださって、それが完全なる通りすがりの事象でも、嬉しい、ありがとうございます。私のこの呼吸、一呼吸一呼吸、一文字一文字は、私が、この瞬間をひとつ明日に進めるために偶然吸っている偶然存在した酸素で窒素で空気で、偶然手に入れた銀に輝くパソコンで私の意思で打っている。

 

 

一見にこやかな絶望の色が板についてきた私だけど、これからも自分らしく、とても勝負できないような遅いストレートの球を、見えない未来に、理解し得ない私以外の誰かに、投げ続けるしかないみたい。

 

 

 

どうしても全身から拭うことのできない、さびしげな雰囲気が嫌だった。

高校生の時、◯ちゃんの笑顔は作っているみたい、と困った顔で言う同級生に、つい本当の畏怖を顔に出してしまったあの日、私は少し嬉しかった。

 

その子が誕生日に送ってきてくれた、「あまり無理はしないで欲しい」という言葉に、彼女はいろんなことに気付きながら、でもできうる限り私にこれ以上気を遣わせまいと、できうる限り私に優しくしようと、考えてくれた姿が目に浮かんだような気がして、そんなことをさせる自分がすごく悲しかった、でも嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

私は、偶然出会った大好きなこの星で、生きる誰かにほのかな期待を抱いて、笑顔で、そんなにまともじゃないのに一見誰よりもまともに見えるという武器を背中に隠し、使う機会がないように願いながら、偶然に怯えている。

 

それはとても晴れた日で 未来なんていらないと思ってた

私は無力で 言葉を選べずに

帰り道の匂いだけ優しかった

生きていける そんな気がしていた

 

cocco rainning