心のなかの針は、もうそのまま一緒に生きていこうか? 胃痛に添えて
私は、痛がりの怖がりです。注射ダメです。針が怖いです。
注射を確実にされるときは、看護師さんに「痛がりなので顔を背けますがすみません」と前置きします。
そして、注射後には「全然痛くなかったです」と言うように心がけています。
めちゃくちゃ痛いですけどね!痛いですけど、看護師さんも人間なので、怖がっているのを態度に出して不機嫌そうにするのは、不快なのかなと思って。
痛がりで怖がりの私は、逃げ腰の人生を歩んでいます。
なぜならば。私さえうまく対処出来れば、かすり傷ですむかもしれない心の痛みが、どうにもこうにも初期対応が遅れ、大きめの傷となることがあります。
だから、傷つく道は逃げます。怖いし痛いので。心も痛いし、私は胃痛持ちなんです。今もチクチク。痛いの嫌で怖いです。すたこらさっさ。
でも、なんとか痛みをあまり感じずにおれる道を、針のむしろなこころのなかの、そびえ立つ剣山の一角に見つけました。
私の、痛くて、空っぽの心。空き缶を投げたら、冷たい心の床で、カラカラと音を立てて転がりそうです。
その心の痛みを、体の痛みとして受けて止めているのが、胃です。
私は、過量服薬の後遺症である、この胃痛に苦しんでいると思っていたけど、実は助けられてきたと考えを改めました。
心の痛みが、実態を伴わないまま、頭を引っ掻き回す感覚が、胃痛持ちになる前はぞわぞわ気持ちが悪かったです。胃の痛みとして実体を持ったことは、ある意味で私を救いました。
そして、自分のなかで腐らせてきた、行き場のない怒りと理不尽な過去を、私は少しずつ吐き出せている。
髪の毛が抜けるたびにひとつ
息を吐くたびにひとつ
爪を切るたびにひとつ
ぽてぽて、過去は落ちていきます。
私はどんどん新しくなります。
腐りかけの体には新芽が育ちます。毎日違う朝がきて、また違う問題を抱えて、胃が痛いです。たまったもんじゃなーい
だけど、心のなかに、ひっそり眠る小さな獣がいたとして。それを守っているその針を、棘を、いばらを、無理に剥がして、叩き起こすこともないと思います。
きっといつか、誰にも気づかれないまま死んでゆく、幼い獣です。私はそんなあなたを、つまりは、私を守り抜くだけです。
何を引き換えにしても、罪悪感に苛まれてもです。私は幼き獣であり、その優しき親でもあります。
誰もなってくれなかった私の家族に、なろうか。
今は見守ることしかできないけど。