ポケットのないズボン 本当にただそれだけの話
私はズボンが好きだ。最近はズボンと言わずに、パンツと呼ばれることも多いけど、オシャレに無頓着な私はやっぱりズボンっていう、なぞのこだわり。
個人的に、ズボンのいいところは、だいたいポケットがあること。
同時に、スカートのあんまりよくないところは、ポケットがないスカートも結構あること。
ポケットがあると、何かと便利。スマホ入れられる、鍵も入れられる。ちょっとコンビニ、なんてときにカバンわざわざ持っていくのは面倒。かといって、手に持ってると邪魔。
ポケットにスマホやら鍵やら、ICカードやら、時にはおにぎりなんか入れて、ぶっくり膨らんだポケット。ポケットがぶっくり膨らむのはみっともないかも?私はあんまり気になりません。
ズボンのポケットは実用的です。でも、ポケットがないスカートはウエストがゴムでできているふわっとしたものが多くて、楽に履けます。なんの運動もしてないのにがっちりした私は、脚を隠せます。
でもポケットがない。いったい私はいつからこんなにポケットの有無が気になるようになったのだろう、ポケットポケット。
10代の私は、ミニスカートが好きでした。ポケットのあるなしは、ブラジルのコーヒー農家の起床時間に匹敵するほど、興味がありませんでした。服を選ぶ基準は、かわいいこと。安いこと。それだけでした。
ミニスカートに、ストッキングを履いて、ヒールのサンダルを履き、そんな女性的な服装なのに、髪はいつも男性のように短髪でした。似合っていないことはわかっていました。
でも、ミニスカートが好きで、かつ短髪も好きだったのです。
ストッキングを履くのはそりゃそりゃめんどくさかったし、ポケットがないからスマホを手に持って移動していました。いつも寝ていました。授業中はよく先生に注意されました。平均より、睡眠時間をとらないといけないたちなのです。
年齢が上がり、少しずつ、便利な服ばかり着るようになりました。スカートの丈がどんどん長くなり、気づくと、スカート自体履くことが減りました。
ズボン、特にジーパンを手にとることが多くなりました。クローゼットに入っている下半身の服は、気づくと、薄い色のジーパン、濃い色のジーパン、ちょっとゆったりしたジーパン、などジーパンだらけになりました。
私は実用性を追い求めてこうなったのかなあー
昔の知り合いは、今の飾り気のなくなった私を見て、びっくりするのかな
今が綺麗な盛りよ、だなんて(私は確実に美人ではありません、一般的に、ということです)言ってくださる年上の方もいるけど、私はこのままでいいかな、と思います。
綺麗になりたかったな、美人と言われてみたかった。それは事実です。でも、とりあえず今はいいかな。美人になりたかった私は、時を経て、いまは、やさしくなりたいです。すごく優しい人になりたいです。服はポケットのあるものがいいです。素材は、できれば綿がいいです。
ブラジルのコーヒー農家のような麦わら帽子に、コーヒー豆のような色のシャツを着て、ズボンのポケットにスマホを入れて、私は生きています。
綺麗になりたかった、なれなかった。優しい人になりたい、なれないかもしれない。でも、それでいいんでしょう。
できなかった私、なれなかった私。特別になりたかった。特別になりたいと願っていることを、誰にも知られたくなかった。
少しずつ歳を重ねて、少しずつ見た目も、考え方も、おばちゃんに近くなっていく、美人にも優しくもない私の体を、そっと動かし、それだけです。
内容のないブログだけど、書くだけです。
私は今日も、ただ存在しています。