say hello
タイトルは適当に、今聞いている曲からです。相も変わらずcoccoが好きです。ちなみに、キラ星という曲です。特に、この曲を気に入っているわけでは、ないのですが。
最近の私はというと、病状は明らかな回復を見せています。生まれて初めて、回復を目に見えて感じ取り、私の人生には、つまり私が徘徊するぬかるんだ穴ぐらには、小さな光が見えてきました。
病院があっていました。薬があっていました。病院が合ったこと、薬が合うこと。これが、精神的に苦痛を抱える人間にとってどれだけの幸運であることか、、、。
初めて病院に行ってから、今年で10年が経ちます。やっと、です。
私が今言えることは、回復することもあるよ、ということです。
苦痛が一生続くと信じて疑わなかった、穴ぐらの中で叫び続けていた私。目に見えない苦しみに、日々体力を削られていました。未来なんていらなかった。
だけど、死ぬのは怖かった。痛いのは怖かった。消えたくなかった、未来を、過去を、大好きな人たちを、愛していた。自分のことを愛してなかった。でも、自分を愛してくれる人を愛していた。自分を愛している人たちを裏切りたくなかった、悲しませたくなかった。愛していた。私は、幸せになりたかった。過去も未来も愛していた。いまこの時だけが、辛くて、必要なかった。
私が言えるのは、回復することもあるということです。
しないこともあると思います。それは悲しい現実かもしれない。
私は神はいないと思います。
でも、回復することもあるのです、少し前の私には、この可能性すら、途絶えていました。
暗闇の中、一人歩くのは苦しくて怖かった。人が怖かった、生きているのが申し訳なかった。税金を食いつぶし、貯金の残高に怯え、いまもそれはそうだけど、きっと戻って見せます。
一人で泣くかつての幼い私よ、頑張ってくれてありがとう。
あなたの苦しみが、過量服薬の後遺症の痛みとなって、私に流れ込んできます。
輝く星が、こんなに美しく見えるなんて。
植物は揺れ、太陽は私の上にあります。
大地の上で、一歩、踏み出せる機会を得られたこと、この時代に命を受けたこと、そのことに初めて喜びを感じようとしています。
またか、と思われるかと思いますが、タイトルそのうち、変えます。
もう、闇の洗濯は終わります。
理解できないことも忘れられない傷も、越えていきたい。強い肩を手に入れて、熱い炎の中に投げ込みたい。私、生きたい。