もし、十年前に生まれていたら
平成も終わりそうな今、私は世紀末に思いを馳せてなりません。
私には、趣味がありません。映画、ドラマ、見ることができません。楽器も弾けないし、スポーツを見ることもできません。(このとき、できない、と表現しているものに対しては、楽しめない、といわけではなく、できない、んです。情緒の安定が怪しくなってしまいます。)
他にも、人生において、楽しく趣味として休日を捧げたいと思うものは、今ありません。(ニートなので、毎日が休日ですが、、。)
本は読みます。ですが、それは楽しく読んでいるのではありません。本を読まずに、生きていく術が分からないだけです。
どういうことかというと、私はすごく田舎に住んでいたので、友達がいませんでした。そのままの意味で。同年代の人が存在していませんでした。
あれ?これは、そのままの意味とはいえないですね。つまり、本を読んで人と話した気分になっていました。
1990年代のcoccoさんの激しい音楽、X JAPANの才能のきらめき。若く、柔らかい見た目の中でこっそり尖るスピッツ。
このころ、これらを体験していたら私はどうなっていたんでしょう。もしかすると、夭逝されたhideさんを追いかけていたかもしれません。
特に、coccoさんのrainningという曲が街で流れるのを耳にしていたら。私がもし、10年前に生まれて、1990年代に思春期を送っていたら。21世紀なんて、来るはずないと、世界を憎み、退廃的な世に酔っていたら。
恐ろしいです、でも、羨ましく感じてしまいます。バブルを体験してみたいとは思わないんだけど、バブルがはじけた後の空気が吸ってみたいんです。
世界が終わるんじゃないかだなんて、なんだか本気で思ったことはありません。私が生きている間には、大丈夫なんじゃないかって、まあ、世界より、私の方が短命だろうと。
でも、本気で、世界の滅亡を信じてみたかった、嘘だ嘘だと言ってみたかったなあ、当時のネットアイドルのみなさんとか、そういう雰囲気、すごく魅力があります。
でも、きっと、危ないときが何度もあっただろうに、今もcoccoさんが生きている、それだけで私は嬉しいです。