冒険心とは
冒険心に興味がある。
冒険には、興味がありません。
どうして命をかけてまで、未開の地を、まだ見たことのないものを、見たくなるんでしょう。
ロマンがあるのでしょう、ロマン。私の人生には無縁とも思える。ロマン。
最近、上温湯隆さんという方を知って(サハラ砂漠7000kmを単独でラクダとともに横断しようとした方です。夢半ばで、客死されました。享年22)、
彼ってロマンを持って生きた方なのかな、と考えることが時折あります。
サハラ砂漠。その真ん中で、ラクダに逃げられた、上温湯さん。
きっと何度も想像したであろう、その場面。探しても探しても、見つからないラクダ。ラクダを探していたのでしょう、サハラ砂漠に残っていたという、彼の足跡。彼が最期に思い出したものは、いったい何だったのでしょう。
彼らの著書を読んでも、私は冒険したいという気持ちにはなりません。
でも、ロマンや夢を追い求めるって、いろいろな形がありますが、冒険欲は、正直、全く理解できないけど、でも、ふとした瞬間に、彼らのそういう昂った気持ちが、なんだか乗り移ったように体に流れ込む時があるんです。
そんな場面体験したことないのに、なぜか満天の星の下や、テントの中の狭さ息苦しさ、寒さ、暑さをふっと感じてしまえるような気がするんです。
彼らが感じた死の恐怖、憧れ。大地のあまりにも深い美しさ、興味。
きっと彼らの感じていた止まらぬ冒険心が、彼らの記した文章にどっぷり反映されていたからなんだと思います。
上温湯さんや、南極調査隊の悲劇など、あまりに遠い話ですが、彼らも、確実に、かつて生身の人だったのだと、クーラーのついた部屋の中で、一人考える夕暮れ。