今日も地球の名物、酸素がおいしいです

プップクプーのプーです 地球には何十年か前に来ました

透明感のある声が欲しかった

以前、ブログをしていた時は、スマートホンで更新していた。だから、長文を打つのが時間がかかっていたけれど、今はパソコンから更新しているので、ブログが気が付いたらすごく長文になっていて、びっくり。

 

以前のブログは知り合いに見つかってしまって、とても恥ずかしくなって非公開にしてしまった。そのブログを更新していたのは、今よりもずっと暗かった時期で、すごく暗い内容ばかりだったけれど、スターをつけてくれる方や、いつもブログを見に来てくれる方がいた。一人じゃないって思えて、そのことが私の支えに今もなっている。

 

以前使用していたIDを使いたいけど、使う勇気がでないのは、そのようなことがあったからで、ここで説明したって、また読んでくれる方はすくないだろうと思うし、どうしようもないんだけど、私はひそかにインターネットをとても広い宇宙のように感じているので、流れ星に願うような、もしかしたらねと期待する、きらきらした気分で、感謝を投げている。

 

 

 

 

ここしばらく、辛い時は食事を抜くことで、辛さに対応していた。

だけど、ニートの私には、時間は全てそのままのしかかってきて、全ての時刻、私はただゆっくり時間が過ぎ行くのをなんとか生きていて、その全ての時間には焦りや怖さ、罪悪感がどっさりで、食事を抜くと、その時間分さらに時間があり、どうしようもなく、やはり生きる罪を背負っている気分です。

 

 

そしてそんなときに、私の手はスマートホンにのびて、好きな曲を聞き、とてもじんわり。今はcoccoさんの、heaven's hell とか、もくまおうっていう曲を聞いていて、coccoさんの苦しみとか、それだけじゃなくて、たくさんの愛するものへの気持ちがいっぱいで、一生懸命に歌っている姿を想像して、とても気持ち悪いのですが、いとしいなと思います。

 

 

 

 

いくつか、すごく欲しかったものがある。ことばをやっと覚えた幼い頃は、好きなヒーローのおもちゃがすごく欲しかった。思春期の頃は、細い足が自分に生えていないことが、私の人生において最も不幸なことだと思っていた。そして、そのあと成人してからは、精神的な苦しみの中でもがく状況を解消する方法が、喉から手が出るほど欲しい。

 

そんな強欲な私ですが、さらに強欲なことに、つい最近欲しくなったものがあって、それが、透明感のある声だ。歌うことが好きで、歌うことというか、私はすごく日本語が好きなので、美しい日本語をメロディーに乗せて響かせるのが至福の喜びだと感じる。

 

でも、その歌を歌っている私の声に不満がある。私の声は、キンキンしているというか、うまく説明できないけどあまり自然ではなくて、(この自然ではないっていう部分をほんとにもっとうまく説明したい、、)透明感がたりません。技術的にも問題があるのはもちろんなのだけど、それ以前のところでなんだかな、、となってしまう。

 

 

森の中で流しても違和感なく溶けこめるような、かといってヒーリング効果があるって感じではなくて、歌うまいですってすっごく強く思うようなそんな感じでもない、難しいんですが、、、。夏目漱石っていう響きに似たものがあるというか。そういう声の方は魅力的だなと思う。

歌手の方でいうと、草野マサムネさんが、私の中のそれです。歌の技術が高いのはもちろんなのだけど、じんわり、体じゅうに、ちっちゃな何かになって溶け込んでくるような印象で、ああ、やっぱり素敵です。

 

 

そんな、透明感のある声で、

入江には煌めく天 闇に溺れるようなフェーヌカジ 

あのいとしい手のひら 

差し伸べられている月の道 顔を上げたのならもう

 

と、coccoさんのもくまおうを歌いたい。できることなら、月が光を落とす美しい海で、穏やかな気持ちで。

これは、絶対にできないことだけど、時間という概念がない星で、歌いたいです。